【1333年:鎌倉幕府滅亡】の語呂合わせ!
1333[悲惨で 散々で]
END!鎌倉幕府が滅亡!
終わりの天皇は?後醍醐天皇!
1333年、鎌倉幕府が滅びました。
足利尊氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)ら有力な御家人が、後醍醐天皇に協力して幕府を倒しました。
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鎌倉幕府の滅亡
六波羅陥落の翌日、新田義貞が上野国で挙兵し、150騎だった軍勢は関東御家人の支持を得て数日のうちに大軍となった。これに対し、幕府は桜田貞国・長崎高重らを将に討伐軍を組織し、大軍で以てこれを迎撃させたが、彼らは小手指原の戦い、久米川の戦いで敗れた。北条泰家の援軍が加わったのちも、分倍河原の戦い、関戸の戦いで敗れ、幕府軍は鎌倉へと敗走し、新田勢は鎌倉へと迫った。
5月18日、新田義貞は大軍(軍記物語では誇張表現で数十万ともいわれる)で鎌倉に対し攻撃を開始し、防戦する幕府軍との間で激しい攻防戦が繰り広げられた(鎌倉の戦い)。当日、追い詰められた執権の赤橋守時が自害するなどしたが、地形を利用した幕府軍の激しい抵抗に新田軍は甚大な損害を被った。
5月21日、新田義貞率いる軍勢が干潮を利用して稲村ヶ崎を突破し、鎌倉市内になだれ込んだ。両軍は市中において激戦を繰り広げたが、22日までに赤橋守時、大仏貞直、金沢貞将、普恩寺基時など幕府軍の有力武将が相次いで戦死・自害した。敗北した北条高時・金沢貞顕、長崎円喜・長崎高資・安達時顕ら一族・家臣283人は菩提寺の東勝寺に集合し、寺に火を放って自害し果てた(東勝寺合戦)。同日、守邦親王は将軍職を退いて出家した。さらに3日後の5月25日には、九州の鎮西探題も反幕府勢力に転じた少弐貞経や大友貞宗、島津貞久らによって陥落した。
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こんな感じ!聞いてみて!
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1333[悲惨で 散々で]
END!鎌倉幕府が滅亡!
終わりの天皇は?後醍醐天皇!
「END」と「(鎌倉幕府が)滅亡」「(後醍醐)天皇」で韻を踏んでる(響きが似てる。どれも母音が”えんお”)ので、音楽を聞いていれば自然と1333年の出来事を口ずさめるようになります♪
鎌倉幕府を滅亡させたのは後醍醐天皇!ということもキッチリ把握しておきましょう♪
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